ヒメムカシヨモギは食べれる!戦後の貧しい時期に食べられた雑草だった。

野草
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ヒメムカシヨモギは食べる事が出来ます。今回は、食べ方と食べる時期について話していきたいと思います。

 

ヒメムカシヨモギは食べれる!

最近道端に生えてる雑草を調べては、食べれるかどうかチェックしている僕ですが、なんとヒメムカシヨモギも食べれるという事が分かりました。といっても、美味しいとかマズいの話じゃないんですよね~。僕が食べれるかどうか判別するポイントは、”毒があるかないか”なんですよね~。w

というのも、野草は薬などが使われていない土壌で育っていますから、恐らくですが身体に良い栄養素などが含まれていると思うのです。ですから食べれるかチェックしているのです。

野草の素晴らしさを伝えられていた東城百合子さんもその事を言っていましたし。とにかく、野草には大きな可能性があると考えているのです。ですが僕みたいな考えを持っている人は少ないですから、河川敷で野草を採っていると通りすがりの人に変な目で見られるのですが。w

まあ、そんな事は関係ありません。そんな事を気にしていては何も出来ないですから。

って事で、ヒメムカシヨモギを食べた事のある人の感想を調べることにしました。(採ってないんかい!w)

 

ヒメムカシヨモギの食べ方は天ぷらが一番っぽい。

ヒメムカシヨモギを食べた人の感想を見ていると、『天ぷら』にした人が「普通に美味しい」と言っていました。その他の人はそんな事を言ってなかったので、恐らく天ぷらが一番おいしいのでしょうね。まあ、無難ですよね。野草にはクセがあるものが多いでしょうが、天ぷらにすると食べやすく無いりますからね。

良い時期が来たら天ぷらにして動画を上げます。

 

ヒメムカシヨモギを食べる時期は夏前が良いかも。

そうそう、ヒメムカシヨモギを食べる時期は、そこまで成長していないものがいいかも。というのも、10月に採取して食べた人の感想を見たのですが、4分茹でても茎が固いと言っていたのです。ヒメムカシヨモギの花期は8月から10月ですから、もう枯れる寸前ですよね。

という事は、大きく成長している段階ですから、茎も太くなっています。ですから、その太い茎を茹でても柔らかくなりませんよね...

という事で、ヒメムカシヨモギを食べる時期はロゼットの時か、それほど成長していない段階で食べるのがベターでしょう。と、偉そうなことを言っていますw

 

ヒメムカシヨモギは戦後の貧しい時期の非常食だった。

ヒメムカシヨモギは戦後の貧しい時期に食べられていた事が分かっています。

 

...こんな情報がありますので引用させて頂きます。

戦時中は食糧(しょくりょう)が配給制になりました。特に、都心部に住んでいる人たちは食べる物がなく、ひもじい思いをしました。

ジュニアライターは、当時を知る人に体験を聞くとともに、広島市西区出身の漫画(まんが)家こうの史代さんの作品「この世界の片隅(かたすみ)に」に載(の)っている当時の食事を作り、栄養バランスについて取材しました。

ヒメムカシヨモギ(鉄道草)やカタバミなどの雑草に加え、七つの川が流れていた市中心部では、水中の生き物を食べ、塩も海水で作っていました。無駄(むだ)のない調理法は、現代の生活でも活用できそうです。

引用元:『中國新聞』

戦後にヒメムカシヨモギが食べられていた事が分かります。戦後は食べられるものは何でも食べると言われていたので、本当に大変な思いをされたでしょう。

ヒメムカシヨモギは、『団子』『味噌和え』などにして食べられていたようです。ですから、戦後を経験した人に『鉄道草(ヒメムカシヨモギの事です)』の事を聞いたらビックリされるかもしれません

 

カルビー創業者の松尾孝もヒメムカシヨモギの料理を作っていた。

『ポテトチップス』ってありますよね?カルビーという会社が作っているのですが、そのカルビーの創業者である『松尾孝』さんは戦後にヒメムカシヨモギで料理を作っていました。Wikipediaから情報を引用させて頂きます。

復員して、戦後も続いた食糧難に対応するため、まだ死臭の漂う広島市内で[7]、戦中時代に作っていた代用食や、新たに鉄道草(ヒメムカシヨモギ)の団子やキャラメルを作り始める[3][2][7]

孝は戦中戦後の食糧難の中で「健康にいい栄養のあるお菓子をつくること」を志した[6]。これが今日のカルビーの社名やかっぱえびせん誕生へとつながっていく[6]

引用元:『wikipedia』

まさかヒメムカシヨモギにそんな過去があるとは、歴史がある植物なのですね。

現代に生きる人はただの雑草としか思っていないのでしょうが、一昔前では有名な草だったのでしょう。戦後には団子の粉が無かったそうですから、代用で糠や糟を使ったと言われています。

 

 

ヒメムカシヨモギの特徴。

画像出典元:『instagram』

画像出典元:『instagram』

画像出典元:『https://sorairo-net.com/plant/08/2003/008.html』

画像出典元:『コトバンク』

画像出典元:『wikipedia』

画像出典元:『野草備忘録』

画像出典元:『川内村観光協会』

画像出典元:『goo』

ロゼットは紫褐色。葉柄に長い毛が生えている。

越年草

北アメリカ原産。各地の道ばたや荒れ地にはびこっている。茎は高さ1〜2mになり、まばらに粗い毛がある。根生葉はへら形。茎葉は長さ7〜10cm、幅0.5〜1.5cmの線形で、茎を取り巻くように密に互生する。

ふちにはまばらに鋸歯がある。両面とも粗毛があり、ふちには長い毛がある。茎の上部に小さな頭花を円錐状に多数つける。

頭花は直径約3mm。筒状花のまわりに白い舌状花が多数並ぶ。舌状部は小さいが、はっきり見える。総苞は筒形。総苞片は淡緑色の線形で、3〜5列に並ぶ。そう果は長さ約1mm。冠毛は淡褐色で長さ約2.5mm。花期は8〜10月。(野に咲く花)

引用元:『松江の花図鑑』

あ、鉄道草の由来を説明しましょう。この植物は明治時代の初めごろに日本に入ってきた北アメリカの植物なのですが、当時は鉄道の開通が多く、その線路に沿ってこのヒメムカシヨモギが生えていた事から、『鉄道草』と呼ばれるようになりました。

因みに、ヒメムカシヨモギの漢字は『姫昔蓬』といいます。

 

ヒメムカシヨモギの花言葉。

ヒメムカシヨモギの花言葉は、『人懐っこい』です。恐らくどこにでも生えているからでしょう。w

 

まとめ。

今回はヒメムカシヨモギの食べ方について説明しました。調べてみると非常に歴史のある植物だったのですね。明治時代に日本に入ってきて、戦後には貧しい人達に食べられていたのです。

『団子』『味噌和え』などにして食されていたようですが、天ぷらにして食べるのが一番おいしい気がしますね。

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